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レイカーズを中心にNBAの話題をロサンゼルスから。


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ジム・バスの時代がやって来た

ESPN LAの記事、The time has come for Jim Buss(ジム・バスの時代がやって来た)が、話題になっています。この記事を書いた記者、ラモナ・シェルバーンは、現在モナコで休暇中で、ロサンゼルスからフランスへ向かう機内で、この記事を書いたそうです。休暇中なのに、記事が余りにも話題になっているので、休暇先から、電話でテレビやラジオに出演しています。下が全和訳です。


誰かが亡くなった時に、取っておくものがあるが、どうしてそれを取っておくのかは、分からない。何故か、あるシャツが意味がある様に感じたり、特定のボイスメイルを消せなかったり。愛する人が残した遺言に、含められた物のリストは長いかもしれない。遺言には含まれていない物が、気のなることがよくある。

ジム・バスが取っておいた物の中には、レイカーズの殿堂入りオーナ、ジェリー・バスが、18ヶ月間の癌との闘病の後亡くなった日まで、1ヶ月もない1月20日に、父が残したボイスメイルだった。彼は、そのボイスメイルを、何度も繰り返して聞いたので、憶えてしまった。

「ヘイ、ジム。お父さんだよ。」と、バスは、父の甲高い声を真似して言った。「何と言う、才能の無駄遣いだ。まあ、実験は上手く行かなかった。」

バスは、その電話を取れなかった。彼の父は、ロサンゼルス・レイカーズについて、息子と話したかった。期待した様には行かなかった。一緒に決断したことについて、話したかった。スティーブ・ナッシュとドワイト・ハワードの、オフ・シーズンのトレードは、1億ドルのレイカーズを、優勝候補にするはずだったが、怪我に見舞われ、失敗に終わった。シーズン当初のコーチ、マイク・ブラウンの解雇と、驚くべきマイク・ダントーニの採用(フィル・ジャクソンではなく)は、彼らを手腕に長けた天才達にする可能性もあったが、その代わりに、見当違いで急いでやった様に見えた。彼らは、その事について、既に、行ったり来たりと数え切れないほど何回も議論し、いつも同じ結論に達した。

「父は落胆していた。4人の殿堂入りプレーヤーが、同じチームでプレーする夢が実現しなくて、レイカーファンがみんな、落胆した様に。」バスは、ESPNLosAngeles.comのインタビューに答えて言った。「でも、まあ、やってみたから、良いさ。」

「修正して、前進する。過去に固執しない。直して進む。」

『固執して嘆いて、「全く何てことだ。こんな大金を失った。」と言うこともできた。これもできた、あれもできたと。でも、私達は、全員で決めた。全ての決断は、1つのチームとして決めた。失敗も、チームとしてする。将来も、同じ様にする。』

もし、ジェリー・バスの哲学を、完璧で明瞭に表現することができるなら、正にそれだ。バス博士は、賭け金が高いポーカーのテーブルで、目の前に山積みのチップがある様に、バスケットボールチームを経営した。全ての動きは、計算されたリスクがあり、いつも、賭けをする気があった。

しかし、ジム・バスが、その様な事を言うと、レイカーズファンは、神経質になる。実の所、ジム・バスが何か言うと、レイカーズファンは、神経質になる。

ジム・バスが、充分な事をして、自分自身でそれを変えるまで、常に、彼の運命だった。彼の父は、自分が他界した後、球団のバスケットボール部門を、息子が率いて行く準備をさせるために、一家のビジネスでの、長い見習い期間の始めに、その点をはっきりさせた。

『父はいつも、「殻を持って、防水できないといけない。叩かれるから。」と言った。そして、私は、「お父さん、僕は、そうなるのは全く構わない。お父さんが、僕を信じてくれている確信があって、僕達が、この哲学を、信じている限り。」と言った。』とバスは言った。

過去35年間、レイカーランドで起こる全ての事の様に、ジェリー・バスの判断は、皆を安心させた。彼は、自身の人生で、充分大きな賭けに勝ち、彼が、何かがリスクに値すると言えば、人々は、それを信用した。彼の人生の最後の10年間と、彼の最後の意志と遺言で、ジェリー・バスは、息子が、レイカーズのバスケットボールに関する決断を、することができると信頼した。

「もし、父が、私にそれをする能力がないと思っていたら、私にこの仕事を任せなかったのは、間違いない。他の人に任せる様にしたはずだ。」とバスは言った。

『何年もの間、父と一緒に、全てのレベル、全ての契約、全ての交渉、全ての優勝するための哲学を造り上げる思考に対処してきて、父は私を信頼してくれた。もし父が、私のやり方を信用していなかったら、「まあ、お前は私の息子だ。さあ、やれ。」とは言わなかったのが事実だ。私は、そうやって、この役職に就いたのではない。』

ジムは、外交的ではない。社交的な場所では、恥かしがりやで、野球帽を被って、目立たない様にして、距離を置いて観察する方を好む。スポットライトを求めないで、避ける。レイカーズが、2010年に優勝した後には、ステイプルズ・センターのオーナーのスイートに留まった。2009年のNBAファイナルは、父親と一緒に、ロサンゼルスで観戦した。レイカーズのコート上での、公の式典には、一切参加したことがない。しかし、今は、陰から出て、人々に、彼がどういう人かを、知ってもらう必要があると分かっている。自分自身、自分の人生、そして、全てのスポーツで最も価値と人気があるフランチャイズの1つに、彼の父が築き上げた球団の経営を、彼がどうやって助けていくかについて、語らないといけないと分っている。

「誰もが変化を恐れる。それは分っている。」とバスは言った。

「私達は、偉大な人物、偉大なレイカー・ファン、そして、私にとっては、スポーツで、他に追従を許さない最高のオーナーを失った。しかし、安定と、仕事に対する情熱は、今でも100パーセント残っている。」

バスは、本気でそう言っているようだった。そして、彼は本気だ。彼は、この20年間、こういう生活に背を向ける機会が、大いにあったが、そうしなかった。バスは、レイカーズのバスケットボールの運営をしたいと思いながら、育ったのではない。彼は、数学の教師になりたかった。、ジムが1977年に、パリセイズ高校を卒業した2年後までは、ジェリーは、球団を所有していなかった。

しかし、1981年に、悲劇が彼の人生を、永遠に変えた。彼の親友が、ハワイで休暇中に、オートバイの事故で、亡くなった。ジムは、打ちのめされて、途方にくれた。彼は、友人と一緒に経営していた小さい会社に背を向け、会社は倒産した。「そういう事は、乗り越えられない。時が経つにつれて、考えるのが、少しずつ楽になるだけだ。何でも彼と一緒にやった。だから、彼がいなくなって、自分の人格の半分を失った様だった。」と、30年以上も経った今、彼は言った。

結局は、ジムは、働く事に少しずつ戻り、グレイト・ウェスタン・フォーラムの、妹ジニーと同じオフィスで、チケットを販売した。ジニーは、ワールド・ティーム・テニスのLAストリングス球団を経営してた。ジェリーは、子供達をトレイニングするのと同時に、査定しているとは、一切公言しなかったが、分っていた。

『誰が正しい決断をしていたか、誰がやる気や直感があるかを、父が見極めていた。私が子供の頃から、そうさせようと思っていたのでもないし、父がレイカーズを買収した後に、「ジムにこれをさせよう。ジムが丁度良い。」というのでもなかった。そうなる予定だったのではない。ジニーも、下から叩き上げた。』

暫くした後、自立して、自分で給料を稼いで、前進する時がやって来た。ジムは、フォーラムでの父親のビジネスを離れ、競馬の仕事を始めた。

「私は、競馬にも、他の全ての事に取り組むのと同じ様に、取り組んだ。観察することから学んで、話して、質問をした。沢山質問した。」と彼は言った。

「私は、単純な質問をすることを、怖がらない。知らない内から、何でも知ろうとしないので、人から評価されると思う。」

ジムは、レイカーズの組織内で、実際の権力を信頼して任せられる前に、10年間、バスケットボールのビジネスを、父親とジェネラル・マネージャーのジェリー・ウエスト、ミッチ・カプチェクから学んだ。徐々に、彼の父は、より多くの責任を与えた。この4-5年は、主にジムが、日常業務の判断をした。しかし、恐らく、亡くなる1ヶ月前くらいまでは、最終判断は、バス博士がした。

『父は、「ジム、お前が最終的なハンマーを持っている。」と言って、私は、「違うよ。僕の最終的なハンマーは、お父さんが最終的なハンマーだと言う事だよ。」と言った。』と、若い方のバスは言った。

「父は、それが好きだった。」

「父は、全ての決断に関わった。父がいなくなる訳ではなかった。私は、朝から晩まで、病院にいた。」とジムは言った。

『5時間連続ということはなかったが、12時間の内5時間仕事をした。父は、それを楽しんだ。父は、自分でやりたいと思っても、その体力がなかった。それでも、父は、ビジネスをするために、戦った。それが、素晴らしいことだった。私は悪いと思って、「お父さん、本当にやりたいの?」と訊いた。』

『そして父は、「ビジネスが楽しいのではない。」と言った。』

どんなビジネスか?

「バスケットボールのビジネスだ。マイクブラウンについては、1ヶ月程かけて決めた。そして、そういう決定については、父は、最高だった。彼は、マイク・ブラウンが、プレーヤーを失ったと感じた。」

病院の部屋から、どうしてそんなことが分るのか?

「プリシーズンのゲームを負けたことや、プレーヤーの何人かがしたコメント、身振り、ミッチと私からの情報。私達が見た事を、聞いたり見たりしたら、とても簡単な結論だった。何かがおかしかった。何かが、合っていなかった。だから、何かしないといけなかった。」

それは、木曜日の朝だった。土曜日の夜には、レイカーズは、ダントーニを採用し、ジャクソンの3回目の指揮を避けたとこで、NBAを仰天させた。

『私達は、コーチを探して、面接をして、父に情報を全て報告した。そうしたら、「ダントーニが良い。」と言った。将来、再建しないといけないことは分っているし、父は、フィルは再建向きではないと感じた。フィルにとっても、公平ではない。むしろ、フィルに対して、敬意を持った考えだった。』

ジムとカプチェクは、ジャクソンが、サイドラインに戻りたいという確信がない様に、面接の後感じたと、ジムは言った。そして、もし、ジャクソンが、消極的なら、ジムとカプチェクも消極的になった。カプチェクとジャクソンが、夏の間一緒に昼食に行き、ジャクソンがカプチェクに、再びコーチをする気はないと言ったことにも、ジムは気が付いた。それでも、ジムとカプチェクは、マイク・ブラウンを解雇した後、「ジャクソンは、歴代で最高のバスケットボールのコーチだから」、ジャクソンに接触して、もう一度、興味があるかどうかを探りたかったと、バスは言った。

面接が全て(マイク・ダンリービーとも面接した)終わって、バス博士に報告した際、バス博士は、状況を素早く見極めて、決断を下した。

『父は、「ダントーニだ。前から好きだった。ショータイム。(コービー・ブライアンと時代からの)移行の期間は、楽しいバスケットボールになる。」と言った。』とジムは言った。

ジムは、彼の父が、ダントーニを直ぐに雇えとも指示したと言った。

『父は、「土曜日の夜までにやれ。」と言った。父は、週末が終わる前に、済ませたかった。』とバスは言った。

副産物が凄かった。カプチェクは、真夜中頃に、ジャクソンに電話をして、少なくとも、ジャクソンが、カプチェクから知らされる様にした。レイカーズ・ファンは、驚いて怒った。ジャクソンは、エージェントを通して声明を発表し、自分の扱い方や、敬意がないと、球団批判をした。ジニー・バスは、当然のことながら、打ちのめされて傷ついた。

「ジニーは、私の妹なので、気持ちを考えた。気の毒に感じた。何か自分にできれば良いと思ったが、ビジネスのレベルでは、父が下したビジネスの決断だった。」とバスは言った。

彼ができることがある。ジャクソンを、球団のフロント・オフィスに招くか、コンサルタントの役割で、球団に戻ってもらうかだ。バスケットボールの知識を全部吸収する。フリーエージェントの勧誘に使う。フランチャイズの上から覆う巨大な影の代わりに、再びレイカーズの資産とする。

バスは、喜んでそうすると言う。

「フィルを家族と思っている。彼をそう見ている。コンサルタントとして、私と一緒に働きたいなら、大賛成だ。」と彼は言った。

バスは、次の質問を知っている。

自分の家族の力関係が見出しになり、スポーツ・トーク・ラジオで、毎日、論議の対象になる様な人生を生きるのは、どんな感じかと尋ねられるのは、これが初めてではない。

「メロドラマの様な感じがする。それを受け入れることを学んでいる。ジニーは、私よりも、公の場に出ている。」とバスは言った。

大きな決定の、最終的なハンマーになることを、急いでいないと、彼は言った。父親や、カプチェクの意見や経験を貴重に思っているので、質問することができて良かったと思っている。

今は、彼の父はいなくなってしまって、それに慣れないといけない。カプチェクに相談は出来るが、バスは、最終決定に、責任を持たないといけない。全ての結果や責任は、彼にある。

「チームとして決めたことでも、私が決定したと見なされる。皆、決断を下す人がいた方が良いと思っている。バス博士の遺産を正面に出すより、新しい決定の過程を前面に出して欲しいと思っている。」と彼は言った。

『私はまだ、それが100パーセント事実なのか、確信がないので、そう言い切るのは難しい。でも、「バス博士がいなくなって落胆していて、彼との繋がりがあったら良かったと思っているなんて、聞きたくない。リーダーになってくれ。」と、人々が思っているのを感じる。』

「それは理解できる。でも、バス博士が、今でも決断をしていると、人々は感じていると、私は感じる。」

ジムは、ティーンエージャーの時から、父の元で働いてきた。彼と、彼の友人は、父親が集めた珍しいコインを、どうやって査定するかを、教えられ、何時間もかけて、端の減り具合や、どれだけ古いかを調べた。ジェリーは、小麦の袋入りの1セント硬貨を大量に買って、息子に査定させて、最高級のものだけをとっておいて、数年後に、価値が上がるのを見た。

「父は1セントで買って、数年後には、それが12セントや13セントになった。」とバスは説明した。

それは趣味だったが、その経験から、自然にあることを学んだと、バスは言った。優良な物と、最優良な物の差は、かなり大きい。支払う価値がある程の差。そして、35年間、バス博士は、そうやって、バスケットボールチームを、経営して来た。

「父は、達成感とプライドがあった。毎日働いていた時に、そう感じることができていたかは、私には分からない。」とバスは言った。

「私は、苦労の末に、彼がどれだけプライドと達成感を感じたかを、見ることが出来た。」

それは、彼が長く持ち続けたビジョンだった。父を憶えておくための、ボイスメイルやお気に入りのシャツと共に取っておく形見だ。

同時に、応えないといけない、巨大な遺産だ。

ジェリー・バスは、彼の息子が、それに対処できると信じた。私達は、彼の賭けが正しかったかどうかを、もうすぐ知ることになる。

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2013/09/14 13:02  Lakers | コメント(19)

元チームメイト達はオドムを思っている

ESPN LAの記事、Former teammates feel for Odom(元チームメイト達はオドムを思っている)を和訳しました。ラマーについて、ジョーダン・ファーマー、ジョッシュ・パウエル、シャノン・ブラウンが語っています。


ラマー・オドムは、彼らのリーダーだった。彼は、行き先を示して、レイカーズの控え達の雰囲気を作り、2年連続でNBAのタイトルを勝ち取る、手助けをした。ベンチ出場することを受け入れ、ジョーダン・ファーマー、ジョッシュ・パウエル、シャノン・ブラウンの様なチームメイトに、優勝チームの一部になるのは、どういうことかを示した。

レイカーズの2009年と2010年の、バックトゥーバックの優勝の最初の年から、ほぼ5年シーズンが経とうとしているが、大らかな微笑みと、スムーズなゲームを持ったこの左利きに、付いて行ったチームメイト達は、彼が、暗い日々から抜け出す道を見つけるて欲しいを思っている。

「こういうことを聞くのは嫌だ。」と、言われているドラッグの使用から、酒気帯び又はドラッグを服用しての運転の疑いでの逮捕についてまでの、オドムに最近付いて回っている、一連の残念な出来事について、今週、電話インタビューで、質問されたファーマーは答えた。

「残念だ。僕達何人かが、連絡を取ろうとしたが、返事がない。それは、彼にとって、大変な時期だということを、表している。」

オドムにとって、大変な時期は、新しいことではない。

リー・ジェンキンスが、2009年のスポーツ・イラストレイティッド誌の記事で、痛烈に書いている様に:

「一番ハッピーなレイカーは、父親はヘロイン中毒だった人で、母親は、彼が12歳の時に、大腸癌で亡くなって、高校では転校を繰り返して、3校に通い、最初の大学の奨学金を、1年生の秋前には取り消され、大学3校を絡む調査の対象になり、NBAドラフト参加を宣言し、ドラフト参加を取り止めることに失敗し、間違いなく最悪のスポーツ・フランチャイズにドラフトされ、リーグの反ドラッグ規定を、8ヶ月間で2回違反し、そして、やっと立ち直り、叔母の葬儀のために、故郷のニューヨークに帰ったら、生後6ヶ月半の息子ジェイデンを埋葬することになり、その後、拳銃を突きつけられて、強盗に遭った。」

そして、2011年の夏に、オドムは、更なる悲劇を経験した。従兄弟の葬儀のため、ニューヨークに滞在中、オドムがチャーターして乗客として乗っていて車が、オートバイと衝突し、そのオートバイが、15歳の少年に突っ込んで、少年を殺害した。

同じ年のその後に、オドムは、NBAロックアウト後、レイカーズから、ダラス・マーベリックスにトレードされたが、そのトレードが気に入らなかった。そして、ダラスでと、昨シーズン、クリッパーズでは、2010-11年にレイカーとして、NBAのシックススマン賞を受賞した面影もなかった。

オドムは、14年のベテランで、11月には34歳になる。アスリートは、衰えるものだ。彼も、全盛期を、過ぎてしまったのかもしれない。2009年6月から2011年4月までの22ヶ月間に渡り、2つのリング、シックススマン賞、FIBAの金メダルを獲るために、自分の全てを使いつくしてしまったのかも知れない。だが、元チームメイト達は、身体的なことよりも、精神的なことが原因と見ている。そして、彼らは、オドムを思っている。

「凄くクレイジーだ。」と、パウエルは言った。「彼が経験して来た事を全て見てみると、それも、僕達が知っているのは、彼がリーグにいる間に起こったことだけで、今までの人生全てで起こったことは、言うまでもないと言うしかない。人によって、みんな、対応の仕方が違う。肩にかかる重荷が、重過ぎてしまうことが、時にはある。人の対応の仕方が、良くないと思うことがあるのは当然だが、そうする以外に方法が無いこともある。」

「兎に角、とても悲しいよ。全てが良くなって欲しい。彼に近い人達が、彼を支援するために何でもして、みんなが知っている元のラマーに戻るのを助けて欲しい。」

遊び心のある振る舞いと、稀に見る技術(レイカーズのPR部長、ジョン・ブラックは、かつて彼を人間スイス・アミー・ナイフと呼んだ)を持った、元のラマーは、コービー・ブライアントの、燃えるリーダシップとは、理想的に対照的だ。「彼とコービーでは、良い警官と悪い警官の様な感じだった。」とファーマーは言った。「コービーは、真剣で断固としていて、ラマーは、才能もあって、同じレベルでチームを助けられるけれど、長くて辛いシーズン中、みんなを鼓舞し続けることが出来た。」だが、今となっては、チームメイトを鼓舞することは、時として、オドム自身が、内面で本当はどう感じているかを、隠すためだったのかも知れないと、彼のチームメイト達は感じている。

「彼は感情的な奴で、何時も、感情をむき出しにしている。」と、ブラウンは言った。「彼は、いつも、高ぶった気持ちで、陽気にしていようとするタイプだ。彼が、落ち込んでいるのを、まず見ない。落ち込んでいる所を、他人に見せないでいると、消耗することがある。」

「彼は、公の場や、友達と一緒にいる時は、楽しもうと勤めて、その通りにするけれど、1人になると、他の事に気が散らなくて、辛いことだけを考えてしまうから、その時に、一番重みを感じるタイプだと思う。彼は、そういうタイプだ。辛いことは話したがらないし、もし話しても、すぐ止めてしまう。」

パウエルは、ベイルが上げられ、オドムが辛い話をした時のことを、憶えていて、オドムが、どれだけの痛みに付きまとわれているかを、理解した。

「彼は、心を開いた。」とパウエルは言った。「僕と彼が、ある時話したのを憶えている。確か、ウェイトを持ち上げていた時だった。彼は、どうやって息子を失ったかを話していて、僕は、その痛みを、彼と分かち合った。どうしてかと言うと、僕も、かなり前、学校を出たばかりの時に、子供を失ったからだ。僕も、子供を失った。僕の子供は、産まれた2日後に亡くなった。それを僕達は話した。」

「僕は彼に、どうやってそれに対処して、その経験をポジティブに利用しようとしたかを話した。より沢山のことをして、より良い人間になる、モチベーションに使った。今でも、自分の子供達といる時は、その経験を使って、子供達にとって、良い親になるために、自分を奮い立たせている。そういうことを話して、それが、彼が、少し心を開いた時だったと思う。他の時はいつでも、冗談や、軽い話題ばかりだった。あれは、彼がどういう人かを本当に見た、数少ない真剣な時だった。」

この数年間、レイカーズを取材していて、私も、オドムは、物事を深く感じる人だということを知った。

私が、レイカーズの練習施設で、ある日遅くに記事を書いていると(他の殆どのメディアは、既に帰った後だった。)、オドムが、メディアが仕事をするエリアにやって来て、練習施設によくやって来る、彼の床屋に、髪の毛を切ってもらいながら、テレビでヤンキースのゲームを見ていた。私達は、スポーツの話しをしていて、彼がスポンサーをしている、アマチュア・スポーツ組織のチームや、大学のバスケットボールの状態の話題になった。彼は、子供達が、チームや学校の勧誘のシステムを、上手く切り抜けて行くのを助けるために、労力を注ぎ込んでいた。「僕は、17歳になるまでに、3回買われて売られた。」と、その日、オドムが私に言った。

2011年の9月下旬、彼が、ニューヨークで、事故に巻き込まれた後に、電話で話すことがあった。その時は、ゲームのためのエネルギーを感じるのが、とても大変で、キャンプに参加しないといけなくても、「恐らくキャンプから自分を遮断してしまう」から、NBAのロックアウトが、翌年まで続いて欲しいと言っていた。

そして、私の弟ブライアンが、2010-2011シーズン中に、悲劇的に亡くなった時があった。自殺だった。途方にくれた。私は、レイカーズの番記者の仕事を離れ、数週間、フィラデルフィアの家族の元へ戻った。結局、レイカーズの対シャーロット・ボブキャッツ戦から、取材に復帰した。それ以外に、何をしたら良いか、分らなかったので。でも、バスケットボールが、肝心なことでもあるかの様に、どうやって取材すればいいのか?ロサンゼルスに戻って、自分は何をしているのか?ロッカールームで、ゲーム前に、オドムが近づいて来て、腕を私の肩に周して、私の目を見て、「大丈夫か?いなくて寂しかったよ。」と言った。

それは絶対に忘れない。

手を差し伸べて、繋がる関係を、オドムが築いた多くのチームメイトや、元レイカーズ・ファミリーは、オドムが家路を見つけて欲しいと願っている。

「チームメイトとして、友人として、どんな場合でも、彼は僕に、とても良くしてくれた。」とブラウンは言った。「彼は、他の奴が成功するのを見たがって、それを助けるためには、何でもするタイプだ。それが、励ましの事葉をかけることだったり、オープンな時に、ボールをパスしたり。そういう小さい事だけれど、大きな違いになる。」

「彼の精神、エネルギー、雰囲気は、どれも素晴らしい。」とパウエルは言った。「魅力があって、癖になる。みんな、彼の側にいたがって、彼と一緒にいたい。」

私は、ファーマーに、もし、彼に対して、1つだけメッセージを伝えるとしたら何かと尋ねた。

「いつでも助けになる。みんな、いつでも助けになる。僕達は、彼が本当はどういう人かを知っている。誰でも、人生で辛い時期を経験するし、もし、彼が誰かを必要なら、いつでも僕達がいる。」

私も同じ気持ちだ、ラマー。大丈夫か?いなくて寂しいよ。


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2013/09/06 14:14  Lakers | コメント(9)
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